いざ鎌倉②
鎌倉道を歩く『桜井あしたば学級』の報告(続編)です。
(本編と言うべきでしょうか。)
『いざ鎌倉①』は こちら
「かまくら道」の石造物は、行き先を案内する「道標」や
通る人の安全を祈る「馬頭観音」「お地蔵様」が主なものです。
今日はそれをルポルタージュです。
本来ならその日のうちに報告すべきですが、スケジュールが重複し、
おまけに呑みに行ってしまいましたので、横着を決め込みました。
記事を読みやすくするため、なるべくテーマは1つにしています。
さらには1日1投稿にもこだわっているんです。
「おかしい?」と叱られそうですが、
12時を1日の終わりとすると記事が間に合わないので、
ベッドに入る前はその日の内と考えることにしました。
(何か言い訳になってしまましたね。)
講師は『真舟鎌倉道保存会』の桐石和夫氏です。
氏は真舟に家がないころから知っており、ここに関しては正に「生き地引き」です。
この工事現場のタラップを昇ることから「かまくら道」の散策が始まります。
このタラップも保存会の骨折りで完成していると言います。
資材は市から、設置は保存会だと言うことです。
目的地は三叉路と言いますが、今はそんな意識はありません。
こんなところにと言う、電柱の脇に「道標」はありました。
文字も判読できないほど朽ちて、
車社会の今は、見捨てられた存在です。
右ハ加らす田道
北加まくら道
左ハ高くら道
確かに三差路ですね。
「道標」に必然性が保証されます。
何度か『志学館高校』にも訪れたことがありましたが、
この道の存在には注意は向きませんでした。
今は住宅がひしめく真舟も一望できます。
(微かに「江戸湾」が…。)
その先にも、「道標」がありました。
きさら津
小糸道
さくらい
正面と左右に文字の彫り方が違うのが気になります。
さらに山道を進むのですが、保存会のおかげで歩きやすく整備されていました。
年寄り集団も不安なく歩けます。
しかし、心無いヤカラもいます。
商店のビニル袋も廃止の方向に動いています。
竹材を利用し、土に還るエコなものも開発されていると言います。
(その昔は私もこの犯人でした…反省しています。)
あんぐりと竹も倒されています。
地震の時の避難場所だった網の目のような根はどうしたんでしょう。
根こそぎ山崩れしたニュースも聞きました。
(人の勝手な営みには、地球も怒っています。)
古い「馬頭観音」には、新しい石が建てられ、
朽ちることを哀しみ「思い」を託す施主の心を感じました。
「守る」と言うことは、心だけではなくこうした「行為」が無ければ実現しません。
(施主に[イイネ]を連発したいと思います。)
動き出した千束台の向こうには、我が家が…。
昭和の人間としては、あまり変わって欲しくないのです。
その実、「かまくら道」に関心を示すのですから…矛盾だらけです。
窓辺にいた『紅陵高校』の生徒たちが手を振ってくれていました。
歩はその先に進みますが、
ここからは「かまくら道」を外れ「石工」にスポットをあてての散策でした。
先ず『諏訪神社』の『上社』にやって来ました。
石段は難儀な歳になりました。
ここでは大野吉五郎の狛犬は欠かせません。
はっきりと石工の名前も確認できます。
おまけに古く前のめりの石段を下ることを強いられました。
(止めときゃよかった…。)
『下社』に行く前に、巨匠・大野甚五郎秀令の墓参りです。
鋸山の日本寺にある石仏や千五百羅漢は有名ですよね。
その甚五郎が眠る墓です。
『諏訪神社』の『下社』は裏側から境内に入りました。
(『上社』の鳥居をくぐるときは、左端を通ったのに…。)
ここにも一対の狛犬がありました。
長くなりますが、後2枚だけ画像をアップさせてください。
この畑、ハートに見えません?
『農溝の滝』のハートは有名なのですが、木更津にだって…。
出発地点に帰り解散したのですが、好奇心は再びここを歩けと命じます。
いずれ、そうなる気配を感じました。
だって、『牛頭観音』に会ってないんです。
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