いいもん!冷や飯を食べるもん!
半世紀も昔に聞いた言葉です。
ある大人が、ちっちゃな子どもに聞きました。
「お母さんがいなくなったら、どうする?」
親の大切さを説きたかったのでしょう。
すかさず答えたのが、
「いいもん!冷や飯を食べるもん!」でした。
とても微笑ましい会話です。
苦肉の策として「冷や飯」を食べる知恵はついていますが、
その「冷や飯」を作る術までには及ばないんです。
あるの話です。
学校をてこずらせていた少年が、
弁当について不満を語りました。
母親がコンビニでいくつかの弁当を買ってきて、
その中のおかずを選び、さも自分が作ったようにして我が子に持たせました。
「食いたくない!」と言います。
PTA会長はそれを聞いて「捨てちゃえ、俺が作ってやる!」と、
少年に塩結びを作ってあげました。
少年は「おいしい!」と言って頬ばったと言います。
2つの話は、いつかブログにアップしたかもしれません。
記事を探すより、再投稿でも構わず書き綴ることにします。
これからも、きっとそうするでしょう…。
今日の私は実に物臭です。
何もする気になりません。
何もしないと、その先には進まないんですよね。
大学生の頃、自炊をしたことも思い出しました。
冬の寒さは、食器を洗う事を拒みます。
水道からお湯なんて出やしません。
曲がりなりにも、作ることは食べることを伴いますので、
何やかやと、どうにかこうにか作りました。
食べてしまうと、「いいや、明日の朝…」と、
食器は流しの中につけ込みます。
当然明日の朝になっても、食器はそのままです。
そのまま、何日か外食で済ませたことがありました。
子どもの頃は他力本願でした。
(言葉の使い方が間違っているかも知れません。)
両親に、小中学生の頃は先生に、
「冷や飯」を作ってもらっていました。
自分のことは自分ですべきことを教えられて、
社会人になったころは、
少なくとも自分自身で「冷や飯」を作ろうとしていました。
リタイヤしてから、しばらくは忘れていましたが、
物臭を決め込む時間が、それを思い出させました。
実は妻が「冷や飯」を作ってくれていたのかもしれません。
一人では何もできないんだってことが、
この歳になって身に染みるんです。
この子は「冷や飯」が無くなったらどうするのでしょう?
PTA会長は少年に何をおしえたいのでしょう?
毎日、握り飯を作ってあげるのでしょうか?
流しの食器は自分で洗わなければ、幾日たってもそのままです。
人の愛が身に染みるからこそ、人恋しいんす。
「冷や飯」の味は、何か物悲しく感じるのです。
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