桜井あしたば学級『小浜地区の散策』
いつもなら何のチュウチョもなく参加するのですが、
今回は出足が渋りぎりぎりまで悩んでいました。
だから、欠席の連絡はもちろん出していませんでした。
途中参加も可能だと言うので勇気を出して参加してみました。
途中参加の小浜手古塚稲荷に早くにつきました。
今日の講師とはここで合流でしょうか?
何人か見えていました。
桜井公民館から歩いて来る仲間と合流し、
今日の散策が始まりました。
講師は『はたざわ歴史講座』の重松正三氏です。
講座の仲間もお手伝いに来てくれました。
今では『手古塚稲荷』は高台に移されたですが、
本来の古墳発掘場所は公園となって活用されています。
もうちょっと上ったところには墓地があり、
こんな珍しい墓碑もたっていました。
以前にも見たのですが「キセル」です。
タバコ好きの仏が眠っているでしょう。
何と「行年94才」というから驚きです。
(私も強気になり、「一生お酒は止めない!」などと冗談を飛ばしました。)
すぐ近くにある『共同墓地』にも立ち寄りました。
何といってもここの見どころは『三猿』です。
「見猿、言わ猿、聞か猿」は皆さんもよくご存じですが、
ここの三猿は立ち上がっているんです。
はっきり見える大きい石碑ではありません。
そのわきの小さな石碑の三猿は「三番叟」に興じています。
その珍しさで、しばしばここが散策ルートに加えられます。
ところで、我が里山には「言わ猿、聞か猿、聞か猿」があるんですよ。
『見ざる、聞かざる、言わざる』は こちら
沢を少し下りて『水神社』へ向かいます。
田舎道を歩くたびに「こんなところに住みたい」と思うのは
やはりノスタルジアからなのでしょうか。
神社の名前からして、ここは漁師町なのでしょう。
村社なのでしょうね。
階段がきついので下で待つつもりでしたが、
仲間にのせられて上ってしまいました。
ここの見どころは、力強い筆跡のこの偏額です。
山岡鉄舟の作だと言います。
私には、この小浜と鉄舟がどう繋がっているのかが気になりました。
左右のこの彫刻は彫も深く、名のある作者ではないでしょうか。
これもここにあるのが不思議に思えました。
すぐ上には『浅間神社』があり、首を傾げましたが、
もう少し南には私の思っていたもっと大きな『浅間神社』があると言います。
「富士も見える神社にはこの名が多い」とも聞きました。
私はそこまでは行きましたが、その上はパスしました。
ツワモノが何人か上ったようです。
今回はこのガイシには触れないで先を進めます。
最終見学地は『地蔵堂』です。
まず目に入ったのが、水難被災者の供養のためと言うこのお地蔵さまでした。
村人の温かさを感じます。
感じはしますが、房州石でしょうか、
石が貧弱で補修のあとも見られます。
様々な石造物はありましたが、昔の墓碑は摩耗も激しく、
悠久の世界へとは届きそうもありません。
そばにはガッチリと造られた墓標もあります。
でも、せいぜい孫かひ孫の代までのような…。
いつか私のお墓も無縁仏となり、
片隅に集められていくのかも知れません。
投げ捨てられてしまうのでしょうか。
そう思うと、歴史散策も気持ちは感傷的になり、
見るものが代わって見えてしまいます。
たわわになった柿も、やがて落ちてゆきます。
(なんだか、違ったところに気持ちが行ってしまいました。)
今回は出足が渋りぎりぎりまで悩んでいました。
だから、欠席の連絡はもちろん出していませんでした。
途中参加も可能だと言うので勇気を出して参加してみました。
途中参加の小浜手古塚稲荷に早くにつきました。
今日の講師とはここで合流でしょうか?
何人か見えていました。
桜井公民館から歩いて来る仲間と合流し、
今日の散策が始まりました。
講座の仲間もお手伝いに来てくれました。
今では『手古塚稲荷』は高台に移されたですが、
本来の古墳発掘場所は公園となって活用されています。
こんな珍しい墓碑もたっていました。
タバコ好きの仏が眠っているでしょう。
何と「行年94才」というから驚きです。
すぐ近くにある『共同墓地』にも立ち寄りました。
何といってもここの見どころは『三猿』です。
「見猿、言わ猿、聞か猿」は皆さんもよくご存じですが、
ここの三猿は立ち上がっているんです。
そのわきの小さな石碑の三猿は「三番叟」に興じています。
ところで、我が里山には「言わ猿、聞か猿、聞か猿」があるんですよ。
『見ざる、聞かざる、言わざる』は こちら
沢を少し下りて『水神社』へ向かいます。
やはりノスタルジアからなのでしょうか。
神社の名前からして、ここは漁師町なのでしょう。
村社なのでしょうね。
仲間にのせられて上ってしまいました。
私には、この小浜と鉄舟がどう繋がっているのかが気になりました。
左右のこの彫刻は彫も深く、名のある作者ではないでしょうか。
すぐ上には『浅間神社』があり、首を傾げましたが、
もう少し南には私の思っていたもっと大きな『浅間神社』があると言います。
私はそこまでは行きましたが、その上はパスしました。
ツワモノが何人か上ったようです。
最終見学地は『地蔵堂』です。
まず目に入ったのが、水難被災者の供養のためと言うこのお地蔵さまでした。
感じはしますが、房州石でしょうか、
石が貧弱で補修のあとも見られます。
様々な石造物はありましたが、昔の墓碑は摩耗も激しく、
悠久の世界へとは届きそうもありません。
片隅に集められていくのかも知れません。
そう思うと、歴史散策も気持ちは感傷的になり、
見るものが代わって見えてしまいます。
たわわになった柿も、やがて落ちてゆきます。
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by fukuchan-ckj
| 2017-11-10 00:31
| 木更津情報
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