至福の一時(作陶の喜び)
陶芸には、もちろん「作る喜び」があります。
作り出すと言った方がいいでしょうか…。
なぜなら、作陶には「思い描く喜び」があります。
試行錯誤が好きなんです。
Plan・Do・Seeが好きなんです。
自分で確かめて、初めて自分のモノになるような気がするんです。
もう一つ、「繋がる喜び」もあるような気がします。
それは…。
至福の喜びを感じるときは、
自分の作ったぐい吞みで美酒に酔いまどろむ刹那です。
余りにも単純な精神構造ですね…。
叱られたって、ハンボクされたって、
今の自分はそう感じているのですから…。
これは決して「繋がる喜び」なんかじゃありませんよね。
「作る喜び」「思い描く喜び」ですよね。
その時・お通しも自分の作った皿に乗せられて出されます。
もうたまりません。
口の中で味わい、喉で味わい、
私の全身に吸収されていきます。
(安物のお酒ですが、私には美酒なんです。)
妻は、以前作陶の経験があり、
こんな私の思いを理解してくれるのでしょう。
それも美酒になる所以なんです。
『養老の滝』の逸話と同じなんです。
「繋がる喜び」がわかってもらえるでしょうか。
そればかりじゃないんです。
我が家には仲間からいただいた作品もたくさんあります。
それは私にとっては「お宝」です。
自分の作品以上に大切にしたい一品です。
「これは〇〇さんから…」と、思い入れが重なるんです。
まだあります。
このサークルだけなのかもしれませんが、
多くのアドバイスを戴けるんです。
教科書がいたるところにあるようなものです。
そればかりか、自分でも腑に落ちない時は、
他人の疑問なのに自ら実験して答えをくれます。
まさに「繋がる喜び」と言わなくて何と表現しましょう?
あれもやってみたい、これもやってみたいと言う思い入れがありすぎて、
手をつけていない物も多いんです。
一例をあげますと、
そば猪口、抹茶茶碗、灯火器(たんころ)、土偶(縄文の女神)…。
過去に制作したのは、
変わったところで、ロストル、鉢物の台、印文、風鎮などでした。
何しろ表札作りから火がつきましたから…。
(要するに変わり者なんですね。)
今は、風鎮作りがmy boomです。
かたくなに追い続けています。
出口なんて見つかってはいません。
作り出すと言った方がいいでしょうか…。
なぜなら、作陶には「思い描く喜び」があります。
試行錯誤が好きなんです。
Plan・Do・Seeが好きなんです。
自分で確かめて、初めて自分のモノになるような気がするんです。
もう一つ、「繋がる喜び」もあるような気がします。
それは…。
自分の作ったぐい吞みで美酒に酔いまどろむ刹那です。
余りにも単純な精神構造ですね…。
叱られたって、ハンボクされたって、
今の自分はそう感じているのですから…。
これは決して「繋がる喜び」なんかじゃありませんよね。
「作る喜び」「思い描く喜び」ですよね。
その時・お通しも自分の作った皿に乗せられて出されます。
もうたまりません。
口の中で味わい、喉で味わい、
私の全身に吸収されていきます。
(安物のお酒ですが、私には美酒なんです。)
妻は、以前作陶の経験があり、
こんな私の思いを理解してくれるのでしょう。
それも美酒になる所以なんです。
『養老の滝』の逸話と同じなんです。
「繋がる喜び」がわかってもらえるでしょうか。
そればかりじゃないんです。
それは私にとっては「お宝」です。
自分の作品以上に大切にしたい一品です。
「これは〇〇さんから…」と、思い入れが重なるんです。
まだあります。
このサークルだけなのかもしれませんが、
多くのアドバイスを戴けるんです。
教科書がいたるところにあるようなものです。
そればかりか、自分でも腑に落ちない時は、
他人の疑問なのに自ら実験して答えをくれます。
まさに「繋がる喜び」と言わなくて何と表現しましょう?
あれもやってみたい、これもやってみたいと言う思い入れがありすぎて、
手をつけていない物も多いんです。
一例をあげますと、
そば猪口、抹茶茶碗、灯火器(たんころ)、土偶(縄文の女神)…。
過去に制作したのは、
変わったところで、ロストル、鉢物の台、印文、風鎮などでした。
何しろ表札作りから火がつきましたから…。
(要するに変わり者なんですね。)
今は、風鎮作りがmy boomです。
かたくなに追い続けています。
出口なんて見つかってはいません。
************************************ See you again ! *****************
by fukuchan-ckj
| 2017-02-03 21:14
| 作陶三昧
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