暗中模索の作陶ビギナー
作陶にいささかの疑問を持ち出しました。
(初心者が生意気な感想なのですが…。)
初心者は書物で学習するしかありませんが、
そこにはこうあったのです。
ここが解決しないんです。
「蛇の目高台」だと、なぜ「盆を傷つけない」んでしょうか?
普通の高台との違いも理解できないんです。
そもそも高台って何のためにあるんでしょうか?
理解も自分勝手な思いで、本当のところはよく解りません。
この本にもこんな高台が紹介されていました。
「茶道の世界のウンチク」のため? と
皮肉さえ出そうな軽薄な認識のビギナーです。
それでは「なぜそば猪口は蛇の目高台で作りたいの?」って詰問されそうです。
何のことはありません。
抹茶茶碗の裏を観賞するのと同じなんです。
通人ぶりたいが為なかも知れません。
今ひとつの疑問は、そば打ち月例会での会話です。
打ち終わるとそばを茹でますが、
私は公民館の施設を有効活用し、お湯を鍋に入れて沸騰させます。
仲間が「水から湧かす方がいい」と言います。
お湯からでも水からでも、沸騰させてからそばを入れますので、
流行りの「時短」になる理由から私はお湯を主張します。
その場は波を立たせたくなく水を使うことにしました。
(これは作陶には無関係でしたね。)
どうも納得しないとくすぶるんです。
ビギナーだから言える無鉄砲さかも知れません。
「どちらでもいい」と言うのであれば話は違いますが…。
それならば、やりたいようにやらせて欲しいとさえ思います。
理由を説明して下さる方が居ればたぶんそれに従うでしょう。
(頑固な私は納得しないと無理かなぁ…。)
ここが私の短所でもあり、長所でもあるんです。
中学生の時、(-)と(-)をかけたら(+)になることに悩みました。
和文英訳では"I am Jack Jones."なのに、
どうして英文和訳では「私はジョーンズ・ジャックです。」ではないんだろうと…。
(入試でつまづくわけですよね。)
いやいや、そのお陰で遅々として進みませんでしたが、
一歩一歩進んで来れたんだと思っています。
(やはり長所だと自惚れているんですね。)
そんなわけで、先ずは「手捻り」の「ぐい呑み」からです。
(決して酒好きだからではありませんよ。)
「そば猪口」は楽しみに先にとっておくだけのことです。
お昼の時、興味を持って行かれそうな茶碗に、お茶が用意されました。
先輩は一つ一つ誰のかしっかりと把握しておられました。
私なんぞは裏を覗きながら配ったことがあります。
感動を表すと「職場と一緒よ」とさらりと言ってのけます。
「さすが!」と思わざるを得ません。
その中の一つをお借りしました。
「自分で作らないと飲ませないよ!」などと冗談を言われ、
「ぐい呑み」作りの間に「茶飲み茶碗」作りです。
「手捻り」で粘土が不足し、「紐作り」も体験し継ぎ足しました。
先輩のサークルメンバーは電動ロクロを駆使していました。
土塊への優しい指使いが器に命を吹き込む姿です。
「手捻り」にないスマートさを感じました。
「手捻り」が田舎の武骨さなら、「ロクロ形成」は洗練された都会のマダムです。
(例えが悪いかなぁ…。)
高台の削り出しも、とても簡単そうに見えました。
「かきべら」を意志のままに操っています。
簡単そうに見えるのは、傍目ですよね。
だって、今習得しようとしている「菊練り」だって、
熟練者の動作は「簡単」にしか見えませんもの。
そうそう、ロクロを囲む青いプラスチックは、
土カスが飛び散らないようにと自作したものだと言います。
底を切り取っただけでなく、大き合わせの切り込みが確認できますか。
なんかワクワクするものを感じました。
運良く、今ひとつの陶芸サークル『彩陶会』の「窯入れ」の様子を見ることができました。
「ツク」を使って慣れた手つきで重ねていきます。
たぶん作陶者は窯入れなんか頓着はしていないでしょう。
大小(広・狭・高・低)様々です。
ニクロム線が勝手に熱を加えてくれますが、
窯入れ・窯出しの労も分担出来るように努力しようと思いました。
残念ながら来週は休まなくてはなりません。
この疲れは、月1回のお休みがいいリズムかも知れません。
(初心者が生意気な感想なのですが…。)
初心者は書物で学習するしかありませんが、
そこにはこうあったのです。
「蛇の目高台」だと、なぜ「盆を傷つけない」んでしょうか?
普通の高台との違いも理解できないんです。
そもそも高台って何のためにあるんでしょうか?
理解も自分勝手な思いで、本当のところはよく解りません。
この本にもこんな高台が紹介されていました。
上村祥雄著『たのしく始める陶芸』より
「茶道の世界のウンチク」のため? と
皮肉さえ出そうな軽薄な認識のビギナーです。
それでは「なぜそば猪口は蛇の目高台で作りたいの?」って詰問されそうです。
何のことはありません。
抹茶茶碗の裏を観賞するのと同じなんです。
通人ぶりたいが為なかも知れません。
今ひとつの疑問は、そば打ち月例会での会話です。
打ち終わるとそばを茹でますが、
私は公民館の施設を有効活用し、お湯を鍋に入れて沸騰させます。
仲間が「水から湧かす方がいい」と言います。
お湯からでも水からでも、沸騰させてからそばを入れますので、
流行りの「時短」になる理由から私はお湯を主張します。
その場は波を立たせたくなく水を使うことにしました。
(これは作陶には無関係でしたね。)
どうも納得しないとくすぶるんです。
ビギナーだから言える無鉄砲さかも知れません。
「どちらでもいい」と言うのであれば話は違いますが…。
それならば、やりたいようにやらせて欲しいとさえ思います。
理由を説明して下さる方が居ればたぶんそれに従うでしょう。
(頑固な私は納得しないと無理かなぁ…。)
ここが私の短所でもあり、長所でもあるんです。
中学生の時、(-)と(-)をかけたら(+)になることに悩みました。
和文英訳では"I am Jack Jones."なのに、
どうして英文和訳では「私はジョーンズ・ジャックです。」ではないんだろうと…。
(入試でつまづくわけですよね。)
いやいや、そのお陰で遅々として進みませんでしたが、
一歩一歩進んで来れたんだと思っています。
(やはり長所だと自惚れているんですね。)
そんなわけで、先ずは「手捻り」の「ぐい呑み」からです。
佐藤和彦著『酒の器をつくる』より
(決して酒好きだからではありませんよ。)
「そば猪口」は楽しみに先にとっておくだけのことです。
お昼の時、興味を持って行かれそうな茶碗に、お茶が用意されました。
先輩は一つ一つ誰のかしっかりと把握しておられました。
感動を表すと「職場と一緒よ」とさらりと言ってのけます。
「さすが!」と思わざるを得ません。
その中の一つをお借りしました。
「自分で作らないと飲ませないよ!」などと冗談を言われ、
「ぐい呑み」作りの間に「茶飲み茶碗」作りです。
「手捻り」で粘土が不足し、「紐作り」も体験し継ぎ足しました。
先輩のサークルメンバーは電動ロクロを駆使していました。
「手捻り」にないスマートさを感じました。
「手捻り」が田舎の武骨さなら、「ロクロ形成」は洗練された都会のマダムです。
(例えが悪いかなぁ…。)
高台の削り出しも、とても簡単そうに見えました。
「かきべら」を意志のままに操っています。
だって、今習得しようとしている「菊練り」だって、
熟練者の動作は「簡単」にしか見えませんもの。
そうそう、ロクロを囲む青いプラスチックは、
土カスが飛び散らないようにと自作したものだと言います。
底を切り取っただけでなく、大き合わせの切り込みが確認できますか。
なんかワクワクするものを感じました。
運良く、今ひとつの陶芸サークル『彩陶会』の「窯入れ」の様子を見ることができました。
たぶん作陶者は窯入れなんか頓着はしていないでしょう。
大小(広・狭・高・低)様々です。
ニクロム線が勝手に熱を加えてくれますが、
窯入れ・窯出しの労も分担出来るように努力しようと思いました。
残念ながら来週は休まなくてはなりません。
この疲れは、月1回のお休みがいいリズムかも知れません。
by fukuchan-ckj
| 2016-01-15 21:50
| 作陶三昧
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