冬至、あらためて思うこと
冬至には柚湯に入る。
冬至にはカボチャを食べる。
昔からある風習です。
子ども頃はあまり深くは考えていませんでした。
親の言うがままに過ごしてきました。
今でもそう信じて続けています。
ご近所さんから大量の柚を戴きました。
もちろん柚湯のシーズンですから、冬至の湯舟に浮かべます。
こんな機会に調べてみることにしました。
柚湯は肌から滋養エキスを吸収をしようというのでしょうか。
その昔は湯に入るなどはあまり習慣にありませんでした。
つまりは「禊ぎ」の意味での入浴でした。
薫りの際だつ柚に邪気を払う働きを期待したわけですね。
新しい年神様を迎える前に、身を清めようとしたのではないでしょうか。
「冬至」と「湯治」の語呂合わせもあるとか…。
(日本人の大好きな語呂合わせです。)
端午の節句の「菖蒲湯」も薫り高いことから、「禊ぎ」の意味を伺うことができます。
5月のブログ『悠久の幸せを願って』は こちら
柚は鍋物にもいいアクセントになります。
長持ちはしませんが、もたせるいい方法を知りました。
冷凍しておく方法です。
取り出しそのままおろしがねにあてて使います。
残りをそのまま冷凍しておけば、また使えます。
細く切って使えば、目でも確認することができますね。
冷凍しかけた残りを柚湯にしてもいいんではないでしょうか。
(ジャムにする人もいますが、私個人は好みません。)
カボチャはなぜなんでしょう?
語呂合わせでしょうが「運」を戴くと言う解説もありました。
「運盛り」の一つになるようです。
カボチャは「南瓜」と書き、「ナンキン」と読めます。
「ん」が二つも入っています。
土用の丑の日の「鰻」も「運盛り」だと言います。
丑の「う」と鰻の「う」は「運盛り」だとうなずけます。
コンニャクなどもそうで、これは「砂っぱらい」と親に言われたことがあります。
腸を掃除してくれ、盲腸にならないと言うんです。
確かにこれにも「ん」が入っています。
酷な時期を乗り切るためという母の言葉にもうなずけます。
親から子への思いやり、
脈々と繋がる慈愛が「冬至」の意味とするのは飛躍しすぎでしょうか。
Google検索サイトの冬至の画像は、私にこんな検索をさせました。
リンクを滑るのは真央ちゃんとゆづくんでしょうか。
世界に羽ばたく二人には、きっと見守る親がいるはずです。
冬至にはカボチャを食べる。
昔からある風習です。
子ども頃はあまり深くは考えていませんでした。
親の言うがままに過ごしてきました。
今でもそう信じて続けています。
ご近所さんから大量の柚を戴きました。
こんな機会に調べてみることにしました。
柚湯は肌から滋養エキスを吸収をしようというのでしょうか。
その昔は湯に入るなどはあまり習慣にありませんでした。
つまりは「禊ぎ」の意味での入浴でした。
薫りの際だつ柚に邪気を払う働きを期待したわけですね。
新しい年神様を迎える前に、身を清めようとしたのではないでしょうか。
「冬至」と「湯治」の語呂合わせもあるとか…。
(日本人の大好きな語呂合わせです。)
端午の節句の「菖蒲湯」も薫り高いことから、「禊ぎ」の意味を伺うことができます。
5月のブログ『悠久の幸せを願って』は こちら
柚は鍋物にもいいアクセントになります。
長持ちはしませんが、もたせるいい方法を知りました。
冷凍しておく方法です。
取り出しそのままおろしがねにあてて使います。
残りをそのまま冷凍しておけば、また使えます。
細く切って使えば、目でも確認することができますね。
冷凍しかけた残りを柚湯にしてもいいんではないでしょうか。
(ジャムにする人もいますが、私個人は好みません。)
カボチャはなぜなんでしょう?
語呂合わせでしょうが「運」を戴くと言う解説もありました。
「運盛り」の一つになるようです。
カボチャは「南瓜」と書き、「ナンキン」と読めます。
「ん」が二つも入っています。
土用の丑の日の「鰻」も「運盛り」だと言います。
丑の「う」と鰻の「う」は「運盛り」だとうなずけます。
コンニャクなどもそうで、これは「砂っぱらい」と親に言われたことがあります。
腸を掃除してくれ、盲腸にならないと言うんです。
酷な時期を乗り切るためという母の言葉にもうなずけます。
親から子への思いやり、
脈々と繋がる慈愛が「冬至」の意味とするのは飛躍しすぎでしょうか。
Google検索サイトの冬至の画像は、私にこんな検索をさせました。
世界に羽ばたく二人には、きっと見守る親がいるはずです。
by fukuchan-ckj
| 2015-12-22 20:09
| ファミリー
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