戦争遺跡は何を物語る?
10年前でした。
館山の戦跡を尋ねたことがあります。
西清川公民館の歴史学級でした。
今日の見学は桜井公民館が主催し、
「米軍上陸地点」、「掩体壕」、「赤山地下壕」の見学です。
縁か、その時のガイドさんが赤山を案内して下さいました。
やはりその時、館山を説明して下さった方が今日も講師を務めて下さいました。
格段にレベルをあげて、
豊富な知識での座学は聞き耳をたてる程でした。
急遽、NPOの会長さんも加わって下さいました。
至れり尽くせりのラッキーな移動研修です。
最初の見学地は、米軍の日本本土「上陸地点」でした。
「コロネット作戦」の計画地図に、
TATEYAMA、YOKOSUKA、KISARAZUの文字があるのには驚かされます。
徳川が江戸に幕府を開き、天皇が東京に遷都してから、
東京湾は守りの最大のポイントとなってきました。
江戸時代の「松竹梅陣屋」は郷土史でも学習し、
現地も見学して歩きました。
だから、コロネット作戦にこの3地名があることもうなづけます。
日本の守りは筒抜けだったんですね。
(アワビの漁法の輸出は、国防のノウハウまで流出させたんですね。)
しかし、度素人の私は、
「何故ここ?」と疑問を持ちました。
敗戦を認めていない住民の話と、
符合しない矛盾を感じました。
カニンガムには不安はなかったのでしょうか。
今でも自衛隊の基地があり、日本軍の重要な基地でもあったこの地に…。
同行の先輩が、父親の話として色々な話をしてくれました。
水上機の格納場所だったこの建物の話…。
水上機の発着にはぴったりの館山湾ですからね。
波の静かな鏡ヶ浦も台風の影響か白波が見えていました。
さらに続く先輩のエピソード、
軍が崩壊したその跡地でツルハシを使いサツマイモ畑を作った話…。
(陸の航空母艦の滑走路だったんでしょうか。)
上空を自衛隊のヘリがしきりで、
時々、会長のガイドの話も中断させられました。
次に見せて下さったのは「掩体壕」でした。
エンタイゴウと言うようです。
これは飛行機を隠す為の壕です。
もちろん使用当時はもっと土はなかったはず…。
まだ文化財には指定されておらず、
今なら内部も詳しく見ることができます。
言われたとおり、上からは全くその存在には気づかれません。
敵を欺くのが戦争、
館山の住人にもきっと秘密裏に作られていたのでは…。
最後の見学地は、豊津ホールそばの「赤山地下壕」です。
ホールで講義を戴き、昼食をとった後の見学です。
10年前になかった入り口の補強は、崖崩れへの対策でしょうか。
内部はびくともしない岩盤ですが、
表層は仕方ありませんね。
ここにも残そうとする力を感じました。
その前の掩体壕もそうですが、
これも当時は軍事機密だったに違いありません。
木更津にもありますが、これだけ巨大な施設は珍しいです。
合計全長1.6kmと言うから驚きです。
何時作り始めたかは諸説あり、まだ定かではありませんでした。
有事の折には軍の司令本部が置ける施設でもあり、
様々な設備があったようです。
行ってみたかったのは(危険性が高く不可能でしたが)、
強大な燃料タンクのポッカリと空いた穴です。
木更津の太田山にもあったと言います。
折りしも、集団的自衛権を含む法案は、
委員会を通り、衆議院でも可決されました。
内容の理解はされぬまま、
立法化されていきます。
野党議員にも理解できないのですから、
私たち国民が理解できるはずはありません。
憲法違反で司法の判断を求めるしかなさそうです。
自衛隊・安保・集団的自衛権、
どうなっていくんでしょう?
館山の戦争遺跡は、
再度実用化されることはないと思いますが…。
そんなことを考えさせられる今日の移動研修でした。
考える事を与えて下さる公民館、
喜楽に従って歩ける移動研修…。
こんなにイージーな学習者でもいいのでしょうか…。
戦争から離れてしまって申し訳ないのですが、
「赤山地下壕」には貴重な地層・断層がくっきりと確認できました。
(高校生の頃、地学は一番苦手な教科でしたが…。)
館山の戦跡を尋ねたことがあります。
西清川公民館の歴史学級でした。
今日の見学は桜井公民館が主催し、
「米軍上陸地点」、「掩体壕」、「赤山地下壕」の見学です。
縁か、その時のガイドさんが赤山を案内して下さいました。
やはりその時、館山を説明して下さった方が今日も講師を務めて下さいました。
格段にレベルをあげて、
豊富な知識での座学は聞き耳をたてる程でした。
急遽、NPOの会長さんも加わって下さいました。
至れり尽くせりのラッキーな移動研修です。
最初の見学地は、米軍の日本本土「上陸地点」でした。
TATEYAMA、YOKOSUKA、KISARAZUの文字があるのには驚かされます。
徳川が江戸に幕府を開き、天皇が東京に遷都してから、
東京湾は守りの最大のポイントとなってきました。
江戸時代の「松竹梅陣屋」は郷土史でも学習し、
現地も見学して歩きました。
だから、コロネット作戦にこの3地名があることもうなづけます。
日本の守りは筒抜けだったんですね。
(アワビの漁法の輸出は、国防のノウハウまで流出させたんですね。)
しかし、度素人の私は、
「何故ここ?」と疑問を持ちました。
符合しない矛盾を感じました。
カニンガムには不安はなかったのでしょうか。
今でも自衛隊の基地があり、日本軍の重要な基地でもあったこの地に…。
同行の先輩が、父親の話として色々な話をしてくれました。
水上機の格納場所だったこの建物の話…。
波の静かな鏡ヶ浦も台風の影響か白波が見えていました。
さらに続く先輩のエピソード、
軍が崩壊したその跡地でツルハシを使いサツマイモ畑を作った話…。
(陸の航空母艦の滑走路だったんでしょうか。)
上空を自衛隊のヘリがしきりで、
時々、会長のガイドの話も中断させられました。
次に見せて下さったのは「掩体壕」でした。
エンタイゴウと言うようです。
これは飛行機を隠す為の壕です。
今なら内部も詳しく見ることができます。
言われたとおり、上からは全くその存在には気づかれません。
館山の住人にもきっと秘密裏に作られていたのでは…。
最後の見学地は、豊津ホールそばの「赤山地下壕」です。
内部はびくともしない岩盤ですが、
表層は仕方ありませんね。
ここにも残そうとする力を感じました。
その前の掩体壕もそうですが、
これも当時は軍事機密だったに違いありません。
木更津にもありますが、これだけ巨大な施設は珍しいです。
合計全長1.6kmと言うから驚きです。
有事の折には軍の司令本部が置ける施設でもあり、
様々な設備があったようです。
強大な燃料タンクのポッカリと空いた穴です。
木更津の太田山にもあったと言います。
折りしも、集団的自衛権を含む法案は、
委員会を通り、衆議院でも可決されました。
内容の理解はされぬまま、
立法化されていきます。
野党議員にも理解できないのですから、
私たち国民が理解できるはずはありません。
憲法違反で司法の判断を求めるしかなさそうです。
自衛隊・安保・集団的自衛権、
どうなっていくんでしょう?
館山の戦争遺跡は、
再度実用化されることはないと思いますが…。
そんなことを考えさせられる今日の移動研修でした。
考える事を与えて下さる公民館、
喜楽に従って歩ける移動研修…。
こんなにイージーな学習者でもいいのでしょうか…。
戦争から離れてしまって申し訳ないのですが、
「赤山地下壕」には貴重な地層・断層がくっきりと確認できました。
(高校生の頃、地学は一番苦手な教科でしたが…。)
by fukuchan-ckj
| 2015-07-16 23:49
| 千葉県南部情報
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