私のこころ歌(13) 『平川音頭』
探しました。
ブログには何処にもありません。
私の記憶では、中学校で『愛唱歌集』と言う冊子が配られ、
その中で確認したことはあります。
物持ちのいい私ですが、
今やこの冊子も見あたりません。
だって、もう町自体が存在していませんもの。
平岡村と中川村が合併して出来たのが平川町です。
町は袖ヶ浦に吸収され現在は残っていません。
(学校名や公民館名にはその名が残されています。)
しつこい私は、やむなく図書館に…。
ありました。
確かに、あったんです。
分厚い『平川町史』の写真資料に残されていました。
おらが平川自慢の一つ ヨイトヨイトナ
ちょいと来なされトントロトロリ
宇治のお茶よりなおなお旨い
お茶に花咲きゃ歌も咲く サテ
みんなでみんなで歌えや踊れ
手拍子揃えてシャシャンとネ
おらが平川自慢の二つ ヨイトヨイトナ
蝿も蚊もいぬ住みよいところ
あの子の夢よりなおなお甘い
牛乳などはいかがです サテ
みんなでみんなで歌えや踊れ
手拍子揃えてシャシャンとネ
おらが平川自慢の三つ ヨイトヨイトナ
ちょいと来なされ見てゆきなされ
母子のセンターでまんまる丸い
太った坊やのその元気 サテ
みんなでみんなで歌えや踊れ
手拍子揃えてシャシャンとネ
宇治のお茶より、かどうかは判りません。
蚊にも蝿にも、実際の所、悩ませられました。
一つ一つ検証すると音頭の勢いを否定しますので、
我田引水、自画自賛は少なからずあることを承知で観賞して下さい。
おらが平川自慢の四つ ヨイトヨイトナ
男度胸で女は器量
ひけはとらない平川育ち
渡る鳥さえ足止める サテ
みんなでみんなで歌えや踊れ
手拍子揃えてシャシャンとネ
おらが平川自慢の五つつ ヨイトヨイトナ
米の出所稲穂が光る
それに畑の南京豆は
粒も揃った景気よさ サテ
みんなでみんなで歌えや踊れ
手拍子揃えてシャシャンとネ
付け加えてはおきますが、
私の地区には製茶工場が4つもありましたし、
四街道までとは言いませんが南京豆もたくさん作っていました。
乳牛も全国で1位になるほど畜産は盛んでした。
全国でも珍しい母子センターもありました。
(私の長男はそこで生まれたんですよ。)
歌詞にあるのは、全くの嘘ではないんです。
だって最近しきりにウグイスやキジの声を聴きますから…。
(かえって信じがたくなったなんてのは陰で言って下さい。)
歌は今でも口ずさめますが、
踊りとなるとトンとわかりません。
(実は最初から覚えてはいないんです。)
どうして作曲者は明記してあって、
作詞者の名前が書かれていないんでしょうね。
ちなみに作曲者は大場善一氏です。
ほとんど同時に作られた『平川町の歌』にもありません。
これが同氏の歌詞・全文です。
いずれも記録しておかなければ
いつかは消えてしまうでしょうね。
すでに歴史の範疇に入るんでしょうか…。
ブログには何処にもありません。
私の記憶では、中学校で『愛唱歌集』と言う冊子が配られ、
その中で確認したことはあります。
物持ちのいい私ですが、
今やこの冊子も見あたりません。
だって、もう町自体が存在していませんもの。
平岡村と中川村が合併して出来たのが平川町です。
町は袖ヶ浦に吸収され現在は残っていません。
(学校名や公民館名にはその名が残されています。)
しつこい私は、やむなく図書館に…。
ありました。
確かに、あったんです。
分厚い『平川町史』の写真資料に残されていました。
おらが平川自慢の一つ ヨイトヨイトナ
ちょいと来なされトントロトロリ
宇治のお茶よりなおなお旨い
お茶に花咲きゃ歌も咲く サテ
みんなでみんなで歌えや踊れ
手拍子揃えてシャシャンとネ
おらが平川自慢の二つ ヨイトヨイトナ
蝿も蚊もいぬ住みよいところ
あの子の夢よりなおなお甘い
牛乳などはいかがです サテ
みんなでみんなで歌えや踊れ
手拍子揃えてシャシャンとネ
おらが平川自慢の三つ ヨイトヨイトナ
ちょいと来なされ見てゆきなされ
母子のセンターでまんまる丸い
太った坊やのその元気 サテ
みんなでみんなで歌えや踊れ
手拍子揃えてシャシャンとネ
宇治のお茶より、かどうかは判りません。
蚊にも蝿にも、実際の所、悩ませられました。
一つ一つ検証すると音頭の勢いを否定しますので、
我田引水、自画自賛は少なからずあることを承知で観賞して下さい。
おらが平川自慢の四つ ヨイトヨイトナ
男度胸で女は器量
ひけはとらない平川育ち
渡る鳥さえ足止める サテ
みんなでみんなで歌えや踊れ
手拍子揃えてシャシャンとネ
おらが平川自慢の五つつ ヨイトヨイトナ
米の出所稲穂が光る
それに畑の南京豆は
粒も揃った景気よさ サテ
みんなでみんなで歌えや踊れ
手拍子揃えてシャシャンとネ
付け加えてはおきますが、
私の地区には製茶工場が4つもありましたし、
四街道までとは言いませんが南京豆もたくさん作っていました。
乳牛も全国で1位になるほど畜産は盛んでした。
全国でも珍しい母子センターもありました。
(私の長男はそこで生まれたんですよ。)
歌詞にあるのは、全くの嘘ではないんです。
だって最近しきりにウグイスやキジの声を聴きますから…。
(かえって信じがたくなったなんてのは陰で言って下さい。)
歌は今でも口ずさめますが、
踊りとなるとトンとわかりません。
(実は最初から覚えてはいないんです。)
どうして作曲者は明記してあって、
作詞者の名前が書かれていないんでしょうね。
ちなみに作曲者は大場善一氏です。
ほとんど同時に作られた『平川町の歌』にもありません。
(昭和34年5月制定)
これが同氏の歌詞・全文です。
いずれも記録しておかなければ
いつかは消えてしまうでしょうね。
すでに歴史の範疇に入るんでしょうか…。
by fukuchan-ckj
| 2015-04-18 16:36
| 袖ケ浦情報
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