身の回りの障害物
何かをしようとする時、
多かれ少なかれ障害となるものがつきまといます。
松下幸之助氏の言葉に、
と言う言葉があります。
信服とまで言いませんが、同感できる考え方です。
その上で、あえて今日はグチを並べてみます。
ほんのちょっと、私の堪忍袋になって下さい。
今、地元の歴史に興味を持っています。
近くに遺る石造物は歴史を物語る証人として、
学ぶ者にとっては道先案内人です。
しかし、石の劣化もしばしば私たちを閉め出します。
右のはいいのですが、左の文字がおぼつきません。
これも想定内のことなのですが、
仕方なく拓本や先人の書き写してくれた記録に頼ります。
また、石造物の位置なども事実とのずれのある場合が多いんです。
宅地造成によって、道路建築によって、等々、
やむなく移設されてしまいます。
遺っていればまだいいほうかも知れません。
石の向きが違うもの、上下の位置が違うもの…。
何時だったか、古墳の跡地のガソリンスタンドに、
小さなほこらを発見しました。
じゃまにならないようにと壁の上部にその場所を確保したのは、
歴人に敬意を惜しまない優しい主の心です。
歴史に浸るために現地に訪れることがよくありますが、
これもただ、学ぶ者の心のありようのような気がします。
この心が史実を求める時にはネックとなるんです。
(これも想定内ではあるんですけれど…。)
解らないことがあるとイージーにも先ずネットで調べます。
「事実でない記載」も発見します。
なのに、書籍には疑いをかけないのでしょうか。
歴史書でありながら、誠しやかに「伝説」まがいのことまで書いているのさえあります。
私の恩師は「辞書を信じるな」と言いました。
それをふまえてあえて書いています。
ネットで調べる時、ネックは「何時の情報なのか」と言う疑問です。
信じ込んでどこかに出かけると、それは去年の情報だったり…。
募集情報、締め切り情報もそうです。
中にはすでに閉鎖されたサイトだったり…。
後で訂正の情報を加えても、以前の記事だけを読む人もいます。
自ら全てを削除してくれると嬉しいのですが…。
それを確かめる為にずいぶんと時間が消えていきます。
(時間のストックを持ち合わせていない老人にとっては…。)
憶えていることが博学であるかのような、
記憶力一辺倒の学力崇拝の時代が長く続きました。
解らなくても丸暗記で入試をパスできたんです。
(それって勉強なのかなぁ…!)
大事な物を見失うような気はしませんか。
元号と西暦の関連づけは大いに悩みます。
(これは知識のない私だけの悩みですが…。)
簡単な設問を作ってみました。
「延暦」と「大同」はどっちが先だったっけ?
「天台宗」と「真言宗」はどっちが先だったっけ?
ネットの『ちょっと便利帳』にはこんな和洋歴対照表がありました。
平安時代初期のほんの一部ですが、
これを憶えろって言うんでしょうか?
歴史その物が嫌いになります。
805年 最澄が天台宗を興す。
806年 空海が真言宗を興す。
充分によく解ります。
前後関係が大事な時、特に日本人は余計な時間を費やしているんです。
石造物に彫られている年号も、和暦が多いですね。
干支なども存在し、余計に珍ぷん勘ぷんです。
(そんな事を知りたいんじゃないんだよなぁ…。)
「左利き」と「右利き」の使い分けはどうでしょう…。
思いやりなどとは言いながら、
自分の利き腕で考えるのが普通です。
最近では左利き用の器具も多く見られるようにはなりました。
しかし、若干割高のようです。
私に左利き用のナイフを使えといわれたら、謹んでごめん被りたい。
だからこそ左利きの人に、左側のナイフを使わせようとは思いません。
筆順など、習字では大事なのかも知れません。
でも、不便さを感じている人もいます。
「上から下に」 何ら問題はありません。
「左から右に」 これがそうです。
左利きには不便な運筆です。
学校の「書写」の時間は基本中の基本を教えます。
これには優しさなど微塵も存在していません。
次第に差別こそ少なくなりはしましたが、
まだまだ一握りの異端者扱いもされます。
乗り越えなきゃいけないハザードがあるとしたら、
こんな事なんじゃないのかなぁ…。
(年寄りのグチを並べてみました。)
堪忍袋を努めて下さり、ありがとうございました。
多かれ少なかれ障害となるものがつきまといます。
松下幸之助氏の言葉に、
信服とまで言いませんが、同感できる考え方です。
その上で、あえて今日はグチを並べてみます。
ほんのちょっと、私の堪忍袋になって下さい。
今、地元の歴史に興味を持っています。
近くに遺る石造物は歴史を物語る証人として、
学ぶ者にとっては道先案内人です。
しかし、石の劣化もしばしば私たちを閉め出します。
これも想定内のことなのですが、
仕方なく拓本や先人の書き写してくれた記録に頼ります。
また、石造物の位置なども事実とのずれのある場合が多いんです。
宅地造成によって、道路建築によって、等々、
やむなく移設されてしまいます。
遺っていればまだいいほうかも知れません。
石の向きが違うもの、上下の位置が違うもの…。
何時だったか、古墳の跡地のガソリンスタンドに、
小さなほこらを発見しました。
歴人に敬意を惜しまない優しい主の心です。
歴史に浸るために現地に訪れることがよくありますが、
これもただ、学ぶ者の心のありようのような気がします。
この心が史実を求める時にはネックとなるんです。
(これも想定内ではあるんですけれど…。)
解らないことがあるとイージーにも先ずネットで調べます。
「事実でない記載」も発見します。
なのに、書籍には疑いをかけないのでしょうか。
歴史書でありながら、誠しやかに「伝説」まがいのことまで書いているのさえあります。
私の恩師は「辞書を信じるな」と言いました。
それをふまえてあえて書いています。
信じ込んでどこかに出かけると、それは去年の情報だったり…。
募集情報、締め切り情報もそうです。
中にはすでに閉鎖されたサイトだったり…。
後で訂正の情報を加えても、以前の記事だけを読む人もいます。
自ら全てを削除してくれると嬉しいのですが…。
それを確かめる為にずいぶんと時間が消えていきます。
(時間のストックを持ち合わせていない老人にとっては…。)
憶えていることが博学であるかのような、
記憶力一辺倒の学力崇拝の時代が長く続きました。
解らなくても丸暗記で入試をパスできたんです。
(それって勉強なのかなぁ…!)
大事な物を見失うような気はしませんか。
元号と西暦の関連づけは大いに悩みます。
(これは知識のない私だけの悩みですが…。)
簡単な設問を作ってみました。
「延暦」と「大同」はどっちが先だったっけ?
「天台宗」と「真言宗」はどっちが先だったっけ?
ネットの『ちょっと便利帳』にはこんな和洋歴対照表がありました。
これを憶えろって言うんでしょうか?
歴史その物が嫌いになります。
805年 最澄が天台宗を興す。
806年 空海が真言宗を興す。
充分によく解ります。
前後関係が大事な時、特に日本人は余計な時間を費やしているんです。
石造物に彫られている年号も、和暦が多いですね。
干支なども存在し、余計に珍ぷん勘ぷんです。
(そんな事を知りたいんじゃないんだよなぁ…。)
「左利き」と「右利き」の使い分けはどうでしょう…。
思いやりなどとは言いながら、
自分の利き腕で考えるのが普通です。
最近では左利き用の器具も多く見られるようにはなりました。
『楽天市場』の画像拝借
しかし、若干割高のようです。
私に左利き用のナイフを使えといわれたら、謹んでごめん被りたい。
だからこそ左利きの人に、左側のナイフを使わせようとは思いません。
筆順など、習字では大事なのかも知れません。
でも、不便さを感じている人もいます。
「上から下に」 何ら問題はありません。
「左から右に」 これがそうです。
左利きには不便な運筆です。
学校の「書写」の時間は基本中の基本を教えます。
これには優しさなど微塵も存在していません。
次第に差別こそ少なくなりはしましたが、
まだまだ一握りの異端者扱いもされます。
乗り越えなきゃいけないハザードがあるとしたら、
こんな事なんじゃないのかなぁ…。
(年寄りのグチを並べてみました。)
堪忍袋を努めて下さり、ありがとうございました。
by fukuchan-ckj
| 2015-04-07 22:09
| その他
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