父と、酒と泪と男と女
何だか河島英五氏の歌を思い出しました。
男は酒を、女は涙を…。
DNAは間違いなく引き継いでいます。
親父に限らず、私も酒好きなんです。
「酒が好きだ」というと、
まるで世間では犯罪人のように思われがちです。
認知されていないんでしょうか。
確かに酒がらみの犯罪や、家族を泣かせる話は耳にします。
「禁酒」は美談として受け入れられもします。
それではこのDNAはやはり犯罪人扱いが妥当なんでしょうか。
そうは思いたくありません。
絶対、そうは思いません。
だって親父を愚弄することになります。
小学生の時、父の膝に抱かれビールを飲まされたことがあります。
「こんなマズイものをよくもまあ呑むもんだ!」
それが私の酒との出会いでした。
就職した頃(とうに二十歳は過ぎていましたが)
酒の席を避けていたことが思い出されます。
「今日は車なんで…」と理由をつけて呑まないこともありました。
ところが次第に素質は開花していったんです。
いつの間にか「酒好き」の仲間に加わっていました。
(牧水ほどのお酒はとうてい呑めませんよ。)
(実は学生の時『牧水と酒』と言うレポートを書いたことがあるんです。)
調子がいいと一升瓶を空けたことはあります。
(今はとんでもありません、たしなむ程度です。)
知り合いの女性にも酒豪がいて、
ある日意気投合した飲み屋のオヤジから、
「これを呑め!」と1升瓶を出されたんです。
(私にはそこまで太刀打ちできる能力はありません。)
父はとにかくすごかった。
普通の酒は効かぬと「國光」とか言う2級酒を飲んでいました。
もっとすごかったのは、90を過ぎてからです。
25度の焼酎を朝1合、昼1合、夜1合と、毎日続けていました。
特に銘柄にこだわりはなく、安くても量を呑みたい様子でした。
私が行くと、その量も増えるんです。
兄は「呑ませるな」と言いましたが、
90も過ぎてるんだし、好き勝手にさせてあげることにしたんです。
今でもその頃の容器が残っています。
この段ボール箱も短期間でなくなりました。
ペットボトルには取っ手があり、大容量が入るので、
園芸用にと活かして使っています。
そうそう、母の実家からの帰路、3重衝突を起こしたんです。
お恥ずかしいのですが「酒酔い運転」でした。
警察からは「もう乗らない方が…」と
お酒でなく運転にブレーキをかけられました。
免許は失効しましたが、
酒好きの父は隠れて車で酒を買いに出たこともあったとか…。
96歳で人生を閉じましたが、お酒は生涯現役でした。
若い頃の夫婦喧嘩も思い出します。
酔いが勢いを増します。
父はお膳をひっくり返します。
呼応したように母は茶碗ざるを土間に打ちつけます。
そんな時のために母は割れ茶碗類を貯めておくと言っていました。
(星飛雄馬の姉ならきっとメソメソと泣いているでしょうね。)
父母の偉いところはお互いを傷つけるような暴力はなかったことです。
お話を義理の兄に移すと…。
ドクターストップを食いながらも、
姉が家からの酒を排除したにもかかわらず、
これも隠れて冷蔵庫の味醂を呑んでいたとか…。
身の回りのそんな豪傑の存在は、
確実に私を「立派な酒飲み」にと育んでくれたんです。
どうしたわけか、今年は酒(日本酒)が我が家に舞い込んできます。
購入して冷蔵庫にあるお酒の他に、
氏子に配った小瓶を兄からもらいました。
義妹からは大好きな大吟醸…。
義兄の奥様からは私たちの名にちなんだ『福寿』…。
古いものから倒していこうと思っています。
今は1日おきになりましたし、
それも黒ビールが1缶…。
(失礼、黒ビールに似せた発泡酒です。)
それと切り子のグラスに半合程度の日本酒…。
(これはまた失礼、切り子もどきのグラスでした。)
おとなしくなったものですね。
これでいいんです。
牧水のような酒三昧の日は過ごせません。
父のような量も呑めませんが、
美味しい酒を生涯たしなんでいこうと思います。
女が偉く見えても
一緒に、楽しく愉快に…。
私は涙もろいし、妻もお酒を飲みます。
呑んだ後はたぶん夢の世界にまどろむでしょう。
男は酒を、女は涙を…。
DNAは間違いなく引き継いでいます。
親父に限らず、私も酒好きなんです。
「酒が好きだ」というと、
まるで世間では犯罪人のように思われがちです。
認知されていないんでしょうか。
確かに酒がらみの犯罪や、家族を泣かせる話は耳にします。
「禁酒」は美談として受け入れられもします。
それではこのDNAはやはり犯罪人扱いが妥当なんでしょうか。
そうは思いたくありません。
絶対、そうは思いません。
だって親父を愚弄することになります。
小学生の時、父の膝に抱かれビールを飲まされたことがあります。
「こんなマズイものをよくもまあ呑むもんだ!」
それが私の酒との出会いでした。
就職した頃(とうに二十歳は過ぎていましたが)
酒の席を避けていたことが思い出されます。
「今日は車なんで…」と理由をつけて呑まないこともありました。
ところが次第に素質は開花していったんです。
いつの間にか「酒好き」の仲間に加わっていました。
(牧水ほどのお酒はとうてい呑めませんよ。)
(実は学生の時『牧水と酒』と言うレポートを書いたことがあるんです。)
調子がいいと一升瓶を空けたことはあります。
(今はとんでもありません、たしなむ程度です。)
知り合いの女性にも酒豪がいて、
ある日意気投合した飲み屋のオヤジから、
「これを呑め!」と1升瓶を出されたんです。
(私にはそこまで太刀打ちできる能力はありません。)
父はとにかくすごかった。
普通の酒は効かぬと「國光」とか言う2級酒を飲んでいました。
もっとすごかったのは、90を過ぎてからです。
25度の焼酎を朝1合、昼1合、夜1合と、毎日続けていました。
特に銘柄にこだわりはなく、安くても量を呑みたい様子でした。
私が行くと、その量も増えるんです。
兄は「呑ませるな」と言いましたが、
90も過ぎてるんだし、好き勝手にさせてあげることにしたんです。
今でもその頃の容器が残っています。
園芸用にと活かして使っています。
そうそう、母の実家からの帰路、3重衝突を起こしたんです。
お恥ずかしいのですが「酒酔い運転」でした。
警察からは「もう乗らない方が…」と
お酒でなく運転にブレーキをかけられました。
免許は失効しましたが、
酒好きの父は隠れて車で酒を買いに出たこともあったとか…。
96歳で人生を閉じましたが、お酒は生涯現役でした。
若い頃の夫婦喧嘩も思い出します。
酔いが勢いを増します。
父はお膳をひっくり返します。
呼応したように母は茶碗ざるを土間に打ちつけます。
そんな時のために母は割れ茶碗類を貯めておくと言っていました。
(星飛雄馬の姉ならきっとメソメソと泣いているでしょうね。)
父母の偉いところはお互いを傷つけるような暴力はなかったことです。
お話を義理の兄に移すと…。
ドクターストップを食いながらも、
姉が家からの酒を排除したにもかかわらず、
これも隠れて冷蔵庫の味醂を呑んでいたとか…。
確実に私を「立派な酒飲み」にと育んでくれたんです。
どうしたわけか、今年は酒(日本酒)が我が家に舞い込んできます。
氏子に配った小瓶を兄からもらいました。
義妹からは大好きな大吟醸…。
義兄の奥様からは私たちの名にちなんだ『福寿』…。
古いものから倒していこうと思っています。
今は1日おきになりましたし、
それも黒ビールが1缶…。
(失礼、黒ビールに似せた発泡酒です。)
それと切り子のグラスに半合程度の日本酒…。
(これはまた失礼、切り子もどきのグラスでした。)
おとなしくなったものですね。
barchetta_156の画像拝借
これでいいんです。
牧水のような酒三昧の日は過ごせません。
父のような量も呑めませんが、
美味しい酒を生涯たしなんでいこうと思います。
女が偉く見えても
一緒に、楽しく愉快に…。
私は涙もろいし、妻もお酒を飲みます。
呑んだ後はたぶん夢の世界にまどろむでしょう。
by fukuchan-ckj
| 2015-01-22 13:47
| ファミリー
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