JR久留里線の車窓から
懐かしい響きのあるディーゼル…。
それに乗る機会を得ました。
木更津から馬来田までの短い区間でしたが、
久々の好機は「鉄道オタク」に変身です。
それぞれ詳しく知りたい方は
フリー百科事典「ウィキペデア」がお薦め…。
詳細は こちら
木更津駅の階段を勇んでのぼりました。
2階の通路の窓からは電化されたJR、
そして変わらぬ高架線とレールたち…。
ホームに待つ久留里線はカラフルにお化粧直し…。 驚きこそありませんがローカル線はたったの1両編成でした。
(1両なのに編成はおかしいですかね。)
昔のディーゼルとは違い、
モダンなデザインで着飾っていました。
オタクらしく車両最前部の運転席近くに陣取りました。
ところで路線は亀山駅まで伸びているのに
なぜ「久留里線」と言うと思います?
実は当初は久留里駅までしかありませんでした。
外房の大原駅と結び「木原線」を名乗るはずでした。
亀山駅までは伸びたものの、
ついには実現しませんでした。
大原駅からの路線「木原線」は
その後は私鉄「いすみ鉄道」として続いています。
(鉄道オタクの雑学でした。)
ちなみにその歴史も調べてみました。
大正元年:久留里線開通
木更津・清川(後上総清川)・中川(後横田)・馬来田・小櫃・久留里の各駅
大正10年:俵田駅が開業
昭和11年:久留里駅が亀山まで延伸
平山・上総松丘・上総亀山の各駅が開業
昭和12年:東横田(休止の期間あり)・下郡・上総山本の各駅が開業
昭和31年:上総山本駅が廃止。
総和36年:祇園駅開業
昭和53年:東清川臨時乗降場(後の東清川駅)が開業。
ちなみにちなみに、今や久留里線は唯一の県内非電化区間だそうです。
(知ってました…? 知りませんでした!)
本題に戻ります…。 ガシャーン!
(転てつ機が操作され、軌道が修正されました。)
最前列の窓を伸びる2本のレール、
それが今日の道案内です。
蓮田が目に入りました。
大部少なくはなりましたが木更津市の名産です。
次々に流れ去る景色へ
少年のような好奇の眼は注がれます。
最初の停車駅・祇園に到着です。 ここが昔から無人駅だったことは知っています。
祇園駅の桜はきれいですよ。
お花のボランティアもせっせと活動してくれています。
(ちなみに横田駅の桜も好きです。
機会がありましたらぜひ訪れてみて下さい。)
驚いたことに鉄道もワンマンバスのスタイルをとっていました。
乗車駅がわかるように乗車したらすぐ整理券をとります。 料金表示も停車駅ごとに表示が変わります。 お金を入れる料金箱が備え付けられています。 ドアの開閉ボタンは乗客が自分で操作します。 何から何まで全くワンマンバスでした。
たまには乗ってみるものですね。
上総清川駅・東清川駅とひた走ります。
高校の頃か、
車窓から学生帽が風に飛ばされ、
拾いに行ったこともありました。
大鳥居の鉄橋にさしかかりました。
列車の音も変わります。
音が川面に跳ね返るんでしょうか。
鉄橋って何でこんなに心が躍るんでしょう。
「鉄橋だ、鉄橋だ、楽しいな!」
歌すら飛び出しそうです。
のどかな田園が続きます。 「宇麻具多のねろ」が微か向こうに見て取れます。
昔からの一大穀倉地帯です
(この中には私の生まれ育った古里も…。)
そう言えば、
土手につながれた牛が線路を占拠し、
しばし徐行…の日もあったっけ…。
横田駅につきます。
ホームが2つあり上り下りが交差する駅です。
高校時代はもっぱらここから乗り降りをしたんです。
黒髪のあこがれの君もここからでした。
話など出来なくとも同じ車両に乗ることだけで幸せでした。
(ああ、昔に帰りた~い。)
今日も対向車両がやってきました。
東横田では大きな列車事故があったことを思い出します。 ここも昔からの無人駅…。
袖ヶ浦支所もあり交通の要所なんですけどね。
道路も見事に複雑です。
最終目的の馬来田駅も今や無人駅です。 ボランティアによる改札業務が行われていましたが
それもなくなりました。
その証拠に料金は車内での支払いです。
その昔はホームが2つあり、
上り下りの交換が出来たんですよ。 レールは撤去されましたが名残は確認できます。
駐輪所の自転車もお休みです。
帰路の車内にもズームイン!
同行のメンバーたちもいささかお疲れ気味でした。
思い思いの別世界にトリップしていました。
足を投げ出して眠りをむさぼる女子高生…。 他のお客さんがいようがいまいがおかまいなし…。
やっぱり夢の中…。
睡魔は何も考えさせてははくれません。
リュックを背負わされ、
モクモクと一人遊びを続ける少年…。
傍らには携帯を叩く若い母親…。 少年と母親のつながりは間違いなく親子。
いったい…?
何ともはやケサランパサラン…。
ゆったりと走るローカル線…。
そこにも都市化にきしむ波音が迫っています。
(ついつい長くなりました。
地元なもので熱が入ったのかも知れません。
どうかお許し下さい。)
それに乗る機会を得ました。
木更津から馬来田までの短い区間でしたが、
久々の好機は「鉄道オタク」に変身です。
それぞれ詳しく知りたい方は
フリー百科事典「ウィキペデア」がお薦め…。
詳細は こちら
木更津駅の階段を勇んでのぼりました。
2階の通路の窓からは電化されたJR、
そして変わらぬ高架線とレールたち…。
ホームに待つ久留里線はカラフルにお化粧直し…。
(1両なのに編成はおかしいですかね。)
昔のディーゼルとは違い、
モダンなデザインで着飾っていました。
オタクらしく車両最前部の運転席近くに陣取りました。
ところで路線は亀山駅まで伸びているのに
なぜ「久留里線」と言うと思います?
実は当初は久留里駅までしかありませんでした。
外房の大原駅と結び「木原線」を名乗るはずでした。
亀山駅までは伸びたものの、
ついには実現しませんでした。
大原駅からの路線「木原線」は
その後は私鉄「いすみ鉄道」として続いています。
(鉄道オタクの雑学でした。)
ちなみにその歴史も調べてみました。
大正元年:久留里線開通
木更津・清川(後上総清川)・中川(後横田)・馬来田・小櫃・久留里の各駅
大正10年:俵田駅が開業
昭和11年:久留里駅が亀山まで延伸
平山・上総松丘・上総亀山の各駅が開業
昭和12年:東横田(休止の期間あり)・下郡・上総山本の各駅が開業
昭和31年:上総山本駅が廃止。
総和36年:祇園駅開業
昭和53年:東清川臨時乗降場(後の東清川駅)が開業。
ちなみにちなみに、今や久留里線は唯一の県内非電化区間だそうです。
(知ってました…? 知りませんでした!)
本題に戻ります…。
(転てつ機が操作され、軌道が修正されました。)
最前列の窓を伸びる2本のレール、
それが今日の道案内です。
蓮田が目に入りました。
大部少なくはなりましたが木更津市の名産です。
次々に流れ去る景色へ
少年のような好奇の眼は注がれます。
最初の停車駅・祇園に到着です。
祇園駅の桜はきれいですよ。
お花のボランティアもせっせと活動してくれています。
(ちなみに横田駅の桜も好きです。
機会がありましたらぜひ訪れてみて下さい。)
驚いたことに鉄道もワンマンバスのスタイルをとっていました。
乗車駅がわかるように乗車したらすぐ整理券をとります。
たまには乗ってみるものですね。
上総清川駅・東清川駅とひた走ります。
高校の頃か、
車窓から学生帽が風に飛ばされ、
拾いに行ったこともありました。
大鳥居の鉄橋にさしかかりました。
列車の音も変わります。
音が川面に跳ね返るんでしょうか。
鉄橋って何でこんなに心が躍るんでしょう。
「鉄橋だ、鉄橋だ、楽しいな!」
歌すら飛び出しそうです。
のどかな田園が続きます。
昔からの一大穀倉地帯です
(この中には私の生まれ育った古里も…。)
そう言えば、
土手につながれた牛が線路を占拠し、
しばし徐行…の日もあったっけ…。
横田駅につきます。
ホームが2つあり上り下りが交差する駅です。
高校時代はもっぱらここから乗り降りをしたんです。
黒髪のあこがれの君もここからでした。
話など出来なくとも同じ車両に乗ることだけで幸せでした。
(ああ、昔に帰りた~い。)
今日も対向車両がやってきました。
東横田では大きな列車事故があったことを思い出します。
袖ヶ浦支所もあり交通の要所なんですけどね。
道路も見事に複雑です。
最終目的の馬来田駅も今や無人駅です。
それもなくなりました。
その証拠に料金は車内での支払いです。
その昔はホームが2つあり、
上り下りの交換が出来たんですよ。
駐輪所の自転車もお休みです。
帰路の車内にもズームイン!
同行のメンバーたちもいささかお疲れ気味でした。
思い思いの別世界にトリップしていました。
足を投げ出して眠りをむさぼる女子高生…。
やっぱり夢の中…。
睡魔は何も考えさせてははくれません。
リュックを背負わされ、
モクモクと一人遊びを続ける少年…。
傍らには携帯を叩く若い母親…。
いったい…?
何ともはやケサランパサラン…。
ゆったりと走るローカル線…。
そこにも都市化にきしむ波音が迫っています。
(ついつい長くなりました。
地元なもので熱が入ったのかも知れません。
どうかお許し下さい。)
by fukuchan-ckj
| 2013-10-18 23:52
| 木更津情報
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