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福ちゃんの里山通信

fukuchanck.exblog.jp

木更津の里山から発信します。


一雨ごとに春がやって来ると言います。
温かくなったり寒くなったりしながら、
  里山には冬と春とが交互にやってきます。


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新しいソナーを搭載した私には、
  全てがきらびやかに輝いて見えます。


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春の真ん中にいるのに、
  春を呼んでいるのかもしれません。


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心が浮き立ち、
  足の運びが弾んできます。
そんなときは歳も忘れています。


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弾んだ心はみんなの心にも春よ呼びます。



こんなところにも花が咲いています。
人を想う心は、優しさも呼びます。


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幸せが悠久の世界に繋がります。



ここにもそんな春を待つ命がありました。


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じっと、時の来るのを待っています。
しだいに、命を膨らませて…。





********************************* See you again ! ***************** 🐕 ***


# by fukuchan-ckj | 2018-02-25 21:31 | 里山情報 | Trackback | Comments(0)


徳島県の那賀町は、大正半ばに行われた第1回国税調査の木更津市の人口に匹敵する
  ごくごくちっぽけな過疎の町と表現してよいのでしょうか。

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ネットにある町の有名人の紹介も、私には知らない人ばかりです。
でも、町章は近代的なデザインで、若者が好みそうなものでした。
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「N」がモチーフになっていることは一目でわかります。
下部の緑は、蛇行して横たわる那賀川を表しているそうです。



…と、こんなことを書こうと言うのではありません。
私の関心は那賀町青年団の試みでした。


秋田県の「なまはげ」をなぞらって取り組んだこの企画は、
  彼らの思いが込められていました。
遠く離れた四国に、同じ行事を展開して10年になるようです。
名前も秋田に敬意を表し「なかはげ」と命名しました。

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「なまはげ」の「泣く子はいねがー!」の台詞は有名ですね。


完成度は低い鬼たちですが、
  青年団の考えに [イイネ] を連発するばかりです。

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手作りのこの鬼でも、十分子どもたちには恐怖です。
「悪い子はいねが!」と叫んでやってきます。
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泣きながらも、とても素直です。


鬼の怖さをチョイスできるのも気に入りました。
ご両親と青年団が話し合い節分を迎えます。
わずか6軒しか希望者がなかったのはとても残念です。
本場・秋田では接待の大変さで、行わなくなった地区もあるようです。


過疎化が進む那賀町の「なかはげ」が、
  人口同様に衰退してしまわないようにと願っています。
そんな地元を憂うる、彼らなりの「愛」の現れに他なりません。
「地元に残る、帰って来るきっかけの1つになれば嬉しいです。」と
  日下団長は語っていました。

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この経験が、郷愁となりいつかまた故郷へ帰って来るのでしょう。
思い出が強ければ強いほど、
  故郷への思いが強くなり、故郷に住み続ける気持ちも強くなります。



この木更津の人口は増えていっても、
  地元愛に裏付けられていなけれは、ただのバラバラな集合体になり果てます。
昔からの「お祭り」や、「ヤッサイモッサイ」・「花火大会」だけでなく、
  様々な試みが繰り広げられて木更津を盛り上げます。
「子どもまつり」・「さかんだな祭り」・「夜灯」・「木更津バル」・「おっぺせ木更津」…。
どんなイベトも市民の繋がりを望み、
  「なかはげ」だけに限らず、力強い一石となるはずです。
投げ続ければ石も山を作り、大きな動かざる力になるはずです。


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私だって、遠くには飛ばせないけれど、
  「そだねジャパン」のようにコントロールは定まらないけれど、
    投げ続ける意気込みだけは残っているつもりです。



ちなみに、たった今「そだねジャパン」は銅メダルを獲得しました。






********************************* See you again ! ***************** 🐕 ***


# by fukuchan-ckj | 2018-02-24 23:15 | その他 | Trackback | Comments(0)


きらびやかな世界に包まれて
  日常が動いていることを知らされました。


  壁紙には模様がついていました。
  バーコラには木目がありました。
  葉には葉脈がありました。


視力がすっかり若返っているのがわかります。



何と病院で計られた視力は1.2でした。
何年前の数値でしょう?


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パソコンでどんどん低下した視力は、
  運転免許にも「眼鏡着用」の限定が付きました。
加齢で変化がみられ、老眼が進みました。
運転免許の限定条件は取れましたが、
  日数が増えるに従い老眼の度数を増やしました。
おまけに「白内障」が世界を小さくしていったのです。



白内障の手術をしてみて…。

嘘のような環境が目の前には繰り広げれていたんですね。
それに気づかないで里山を歩いていたんですね。
このままだったら、さび付いたソナーが全てを見ていたかのように、
  一部だけを見て語り続けていたのですね。
辺り一面には、きらびやかな世界が繰り広げられていました。



今日は里山散歩はお休みにしましたが、
  明日からは新品のソナーで見て回ります。





********************************* See you again ! ***************** 🐕 ***


# by fukuchan-ckj | 2018-02-23 20:54 | Medical check | Trackback | Comments(0)

いよいよオペ当日です。
約束の12;00少し前に、病院の受付を通りました。
「入院申込書」と「個人情報の同意書」などの手続きを済ませ、
  看護師からは目薬を注されました。
何種類かの目薬です。
多くて一つ一つよくわかりません。
感染防止のようです。
さすがプロ、素早くやってのけます。
体温と血圧が計られました。
体温が少し高めでしたが、平常です。



やがて、リンゲルを入れるための針が刺されました。
ところがこいつがビギナーらしく、
  刺しなおすたびに神経を刺激します。

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当初の場所をやめ反対側の腕に刺し込まれました。
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はっきり言って「下手くそ!」としか言いようがありません。
慣れさせようと言うのでしょうか、
  もう一人の看護師がついていました。
目薬の看護師とは大違いでした。



やがて2階の病室に移動しました。

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オペ用の病衣に着替え、時間を待ちます。
狭いながら個室です。
待つ時間はわずかなのに、長く感じます。



いよいよ自分の番が来ました。
車椅子の乗せられました。
幅も狭いし、背当てに違和感を感じる車椅子でした。
短い移動時間なので、我慢することにしました。
オペ室の入り口で再度、体温と血圧を計ります。
異常はありません。



オペ室の扉が開かれ、手術台に乗りました。
左目から始められました。
清水アキラのお笑い芸のように、上下の瞼をテープで止めます。
もうまばたきはできません。
また目薬が刺されます。
麻酔薬も痛み止めも注入されましたが、
  どれがどれだかよくわかりません。

医師から「光を何となく見つめていてください」と言われましたが、
  そのライトの明るいこと、まぶしいこと…。
やがて慣れると、3つの光源を感じました。
でも、1つだけが一部が欠けた円でした。
メスを入れられたのですが、あまり感覚はありませんでした。
(もしかするとレザーメスかも知れません。)
濁った水晶体が出され、人工眼内レンズが挿入されます。
大して抵抗は感じませんが、
  若干力が入ったような気もします。
と言うことは、強がりを言いながらも意識していたんですね。


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『上社眼科』の画像拝借


感じる3つの光源は変形しながら、
  周囲がひび割れたようになったり暗くなったりしました。
何度も水で目が洗われます。


わずかな時間で左目の手術は終わり、
  眼帯が貼りつけられました。
わずかな時間ですが、これまた長く感じました。



同じように右目も手術されました。
再び強烈なライトに照らされ、
  眼帯が貼られるまでは冷静に傍観していました。
私の父は神経質で臆病者でしたので、
  ピクピクと神経が反応し途中で手術をやめてしまいました。
視力は頼りない片目だけになりましたが、
  96歳まで生きながらえました。
そのDNAを受け継いでいるのですから、私も同じです。
力が入ったのもそのせいかもしれません。



手術が終わると、両目の視力が眼帯に奪われました。
手術室から車椅子に移されたのも、
  手探り状態の中でした。
体に感じる温度の差が、廊下であることも病室であることも知らせました。
病室では看護師の誘導でベットに横たわりました。
1時間程度の休養時間に入ります。
何をすることもできず、少しだけウトウトしました。

途中、自然生理現象がナースコ―ルを要求したのですが、
  自力で済ませてみることにしたのです。
靴の置き場所もトイレも記憶にありましたので、
  そんなに難しいことではありませんでした。
全て自力でできたのです。
眼帯を看護師に外さるまで、また少しうたた寝をしました。
外されると、視力が戻っている事を確認できました。



厄介な言いつけは術後の目薬でした。
何と3種類もあり1日3回も注せと言うんです。

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ていねいなことに、
  右目用と左目用で6本もあり、5分空けろと言います。
今までの2種類でも大変だったのに…。
仕方ないとあきらめはしています。



家に帰り落ち着くと、視界があまりにも鮮明なのに感銘を受けます。
まるで子供のころ見たテレビが、4Kの世界を見せてくれているようです。
ピョンチャンのオリンピックも電気屋でデモテレビを見ているようです。
バックライトを最大にしてあったパソコンはまぶしいくらいです。
「しばらくは明るすぎてまぶしい」と言われたことにうなづけます。
こうしてブログで報告している事に、
  妻は「眼を休め、今日は発信するな」と叱ります。
休憩を入れながら書きあげました。



明日からの里山歩きは、
  真新しいソナーを搭載したこの野次馬が眺めることになりそうです。





********************************* See you again ! ***************** 🐕 ***


# by fukuchan-ckj | 2018-02-22 23:44 | Medical check | Trackback | Comments(2)



青山大学で「神学」を聴講したことがあります。
その中で外国人牧師の言った言葉を、
  半世紀も経った今、何故か思い出しました。


  目をつむって、大木の周りを手探りで出口を探し回っている。


「悟りは却下にあり」と言う言葉もあります。
答えは存外身近にあるものなのかも知れません。
ただそれに気づかないでいるのが常なのです。


ふと視点を変えて見た時、
  答えの只中いたことに気づくのかもしれません。
難しいのは、それに気づかないでいると言うことです。



「開眼」と言うのでしょうか。
「目からうろこ」と表現するのでしょうか。


問題は気づくのがいつかと言うことです。


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人生はそんなには難しいものではないのに、
  それにこだわり悩み続けるのではないでしょうか…。





********************************* See you again ! ***************** 🐕 ***


# by fukuchan-ckj | 2018-02-22 01:49 | その他 | Trackback | Comments(0)