飽富神社と筒粥神事
『房総ファミリア』で知り、関心がピークになりました。
企画展は1月25日にも見学しましたが、
もちろん今日も見学させていただきました。
そればかりか、今日は「展示説明会」もあり、
嬉しいことにその後は「周辺散策会」も計画されているんです。
(コースは歩いたことのある道なんですが…。)
袖ケ浦郷土博物館を出た一行は、上池の鴨や鵜におくられ勇んで出発です。
(その内ターゲットを変えて写真を撮りに行こうと思います。)
(何か多くの題材がありそうな気がしますから…。)
このエリアだって、まさか卸売市場は移転しては来ませんが、
周りのフェンスはに気になって仕方ありません。
重々しい何かを感じるんです。
この鉄塔だって根形の住民には何のメリットもありません。
せいぜい地主がなにがしかの補助金を手にしたのでしょう。
しかしその他の土地は宅地にもできません。
…等々、書いているとまた脱線です。
ソナーを固定し、今日の目的だけに絞ります。
①山野貝塚、②真里場古墳、③飽富神社についてのみ記します。
①山野貝塚は今でも畑を白く見せています。
言うまでもなく畑に交じる貝のかけらです。
どこにでも見られるのですが、とみにこの地区は多いような気がします。
土壌改良剤にはなると言いますが、
4千年も経った現在でも形がしっかりと残っているのですから…。
貝は海洋国日本には欠かせない食材だったんですね。
②真里場古墳群ですが、これも畑の中にぷっくらと姿を見せていました。
この地区の古墳は小さなものが多いようです。
未だ調査されていない墳墓もあるようです。
古墳より周りのキャベツに目が行きました。
(筒粥の占いにこれも入れたいくらいです。)
不覚!
ここまでで疲労のためか晩酌のためか、
睡魔に襲われ眠ってしまいました。
日付もすっかり変わってしまいました。
めげず、続きを書いています。
③飽富神社が意外と大きいものだと再認識しました。
その昔はさらに西側に神官の邸宅があったと言いますので、
村社を超えて県社に昇格したのもうなづけます。
眺望もとてもよい場所にあり、
万葉時代からの穀倉地「うまぐた」を一望することができます。
散策隊はガイドに誘われて境内に入ります。
正面には本殿(含拝殿)が迎えてくれます。
ここでは先ず「筒粥」のことを話題にしなければいけないのですが、
私のソナーはぐるぐるとあたりを照射します。
「筒粥」については、袖ケ浦教育委員会の説明でお許しください。
(割愛しながらタイトルにするなんて…。)
(横着を決め込んでしまいます。)
ここで特筆したいのは、平安時代の書物には名が記されているとしながら、
伽藍に残るのは江戸時代以降だと言う淋しさでした。
ご多聞にもれず、ここも火災のなせる暴挙でした。
一番古いのが江戸時代のこの手水石だと言います。
参拝前に身を清めるのもよいのですが、
神社全体も清めたい感じがします。
長くなりますが、これだけはアップしておかないと…。
魅せられたのは、やはり江戸時代になりますが、
この社・『東照宮』です。
建物4面に施された彫刻です。
今少し立体感には欠けますが、
これが朽ちていくことが耐えられません。
同行の仲間も同じ感想を抱いたようです。
火災には合いそうもありませんが、
当然風雨にはさらされて時が流れます。
錠の穴も無造作に移されています。
これも老婆心でしょうか?
後はもう一つのイベント、
講演会「占いの文化と筒粥神事」が待ち遠しいです。
今月の25日なんです。
もちろん今日も見学させていただきました。
そればかりか、今日は「展示説明会」もあり、
嬉しいことにその後は「周辺散策会」も計画されているんです。
(コースは歩いたことのある道なんですが…。)
袖ケ浦郷土博物館を出た一行は、上池の鴨や鵜におくられ勇んで出発です。
このエリアだって、まさか卸売市場は移転しては来ませんが、
周りのフェンスはに気になって仕方ありません。
せいぜい地主がなにがしかの補助金を手にしたのでしょう。
しかしその他の土地は宅地にもできません。
…等々、書いているとまた脱線です。
ソナーを固定し、今日の目的だけに絞ります。
①山野貝塚、②真里場古墳、③飽富神社についてのみ記します。
①山野貝塚は今でも畑を白く見せています。
どこにでも見られるのですが、とみにこの地区は多いような気がします。
4千年も経った現在でも形がしっかりと残っているのですから…。
貝は海洋国日本には欠かせない食材だったんですね。
②真里場古墳群ですが、これも畑の中にぷっくらと姿を見せていました。
未だ調査されていない墳墓もあるようです。
(筒粥の占いにこれも入れたいくらいです。)
不覚!
ここまでで疲労のためか晩酌のためか、
睡魔に襲われ眠ってしまいました。
日付もすっかり変わってしまいました。
めげず、続きを書いています。
③飽富神社が意外と大きいものだと再認識しました。
その昔はさらに西側に神官の邸宅があったと言いますので、
村社を超えて県社に昇格したのもうなづけます。
万葉時代からの穀倉地「うまぐた」を一望することができます。
正面には本殿(含拝殿)が迎えてくれます。
私のソナーはぐるぐるとあたりを照射します。
「筒粥」については、袖ケ浦教育委員会の説明でお許しください。
(割愛しながらタイトルにするなんて…。)
ここで特筆したいのは、平安時代の書物には名が記されているとしながら、
伽藍に残るのは江戸時代以降だと言う淋しさでした。
ご多聞にもれず、ここも火災のなせる暴挙でした。
参拝前に身を清めるのもよいのですが、
神社全体も清めたい感じがします。
長くなりますが、これだけはアップしておかないと…。
魅せられたのは、やはり江戸時代になりますが、
この社・『東照宮』です。
これが朽ちていくことが耐えられません。
同行の仲間も同じ感想を抱いたようです。
火災には合いそうもありませんが、
当然風雨にはさらされて時が流れます。
錠の穴も無造作に移されています。
これも老婆心でしょうか?
後はもう一つのイベント、
講演会「占いの文化と筒粥神事」が待ち遠しいです。
今月の25日なんです。
************************************ See you again ! *****************
by fukuchan-ckj
| 2017-02-05 04:17
| 袖ケ浦情報
|
Trackback